イサム・ノグチの紹介、略歴
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イサム・ノグチは日系アメリカ人の彫刻家で、1988年に他界するまでに数々の偉大な作品を残しました。彼の作品は世界中の様々な場所に存在していて、もしかすると貴方の身近な場所にも存在するかも知れませんよ! |
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イラスト:藤井さん
COPYRIGHT (C) 1998 Hiroshi Fujii |
1904 |
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11月17日、ロサンジェルスに生まれる。 父親は東京からの日本人詩人であった野口米次郎(後に慶應義塾大学にて英語の教授)、母親はニューヨーク生まれでアメリカ人作家のレオニー・ギルモア。 |
1908 |
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Morimura Gakuen幼稚園に通う。 |
1910 |
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茅ヶ崎に引っ越し、2年間を地元の学校で過ごす。 |
1912 - 1917 |
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横浜にあるイエズス会派の学校に通う。茅ヶ崎にて大工の見習い。 |
1918 |
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母親の意志で、インディアナ州ローリング・プレーリーのインタラーケンスクールに通うため、アメリカに送られる。しかし、同スクールがアメリカ軍の訓練キャンプとして利用されたため、秋に公立の学校へ通うことになる。 |
1919 |
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インタラーケン創立者のエドワード・ラムリーの知遇を得て、同州ラ・ポートの高校で寮生活を送る。ラムリー氏から医者になるようにアドバイスを受けるが、芸術家になりたいという意志があり、スタンフォードの彫刻家ガツン・ボーグラムの助手にさせてもらう。ボーグラムから芸術家にはなることがなかろうと言われ、ラムリー氏のアドバイス通り、医学を勉強しようと決意する。 |
1922 - 1924 |
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コロンビア大学で学びながら、夜はレストランで働く。 |
1923 |
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母親が、17年間の日本滞在の末、西海岸へ戻る。 |
1924 |
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ニューヨークへ引っ越してきた母親のアドバイスで、レオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校に通う。校長オノリオ・ルオトロの手伝いをし、3ヶ月後には、最初の個展を学校にて開く。
Greenwich Villageにある127 University Placeにアトリエを構える。
National Sculpture Societyのメンバーとなる。
National AcademyとArchitectural Leagueにて頻繁に作品を発表する。 |
1926 |
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Alfred Stieglitz's gallery、An American Place、New Art Circle of J.B. Neumanなどに通う。
Brummer GalleryでBrancusiの作品と遭遇する。 |
1927 |
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John Simon Guggenheim Memorial Fellowship(グッゲンハイム奨学金)を受け、パリへ。
朝はBrancusiの元で働き、午後はAcademy Grande ChaumiereとCollarosi Schoolで学ぶ。 |
1929 |
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Martha Graham、George Gershwin、Buckminster Fullerなどの肖像彫刻を制作。
Marie Sterner Galleryにて個展。
Harvard Society of Contemporary Arts、Arts Club of Chicagoにて個展。 |
1931 |
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ベルリン、モスクワを経て、シベリア横断鉄道で北京へ。斉白石の元で毛筆を学ぶ。8ヶ月間滞在。
東京と京都へ。宇野仁松のもとで陶芸を学ぶ。
銅像Ruth ParksがニューヨークにあるWhitney Museum of American Artに購入される。 |
1932 |
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ニューヨークに戻る。
Demotte Galleryで毛筆の作品を、John Becker Galleryにて陶芸の展示をする。 |
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イサム・ノグチについて詳しく知りたい方は、以下のビデオをご覧ください。数あるビデオの中でも、これが一番良くできていると思います。
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